日本で初めて、コインクーラー(家庭用レンタルクーラー)ご存じですか。?

日本熱学工業(にっぽんねつがくこうぎょう) かつて存在した日本の空調機器製造メーカー。

商品名、エアロマスター

沿革[編集]

1957年2月設立[1]以来空調工事・製造全般を手がけ、昭和40年代後半の空調設備ブームで急成長した。なかでもコインクーラー(商標名 エアロマスター)は同社の主力商品で、当時高価であった家庭用クーラーを各家庭にリースとして設置して、使用したい時間分100円硬貨を投入して稼動させるしくみだった。

関連会社の日本空気販売がスポンサーの特撮番組『スーパーロボット レッドバロン』でも、劇中の特撮シーンなどを使ったCMが知られている。その手軽さが好評となり普及していたが、他社の冷暖房機器の大量生産による価格の下落で一般家庭が購入しやすくなったことや、本業の空調機器工事の受注鈍化による業績悪化、石油ショック1974年5月20日に会社更生法を申請して倒産[3][4]

同年5月24日、労働組合と経営陣が団体交渉した後に、社長の実弟である副社長が行方不明となり、同年6月1日青函連絡船大雪丸の船内からカバンと遺書が見つかった[5]。同年11月には更生法申請を棄却され、12月10日には代表取締役社長の牛田正郎が特別背任罪で逮捕、翌年1975年3月に破産

工場[編集]

CM[編集]

  • コインクーラー 新珠三千代輪島大士が共演。社長の牛田正郎は輪島の後援会会長も務めていた[6]
  • 日本テレビ系の特撮番組『スーパーロボット レッドバロン』では、エアロマスターのコインクーラーを販売する総代理店の日本空気販売がスポンサーで、劇中の登場人物や特撮シーンを使ったCMも放映していた。
  • 1973年 – 1974年ごろ平和台野球場の外野フェンス看板「エアロマスターの節電型メータークーラー・愛隣」を左中間側に提供していた[7]

関連会社[編集]

  • エアロマスター – 日本熱学工業の子会社で、1974年5月20日に倒産[8]
  • 日本空気販売 – サントリーワコールなど三十社の共同出資で設立した日本熱学工業の関連会社で、牛田正郎が社長だった。1974年6月14日に倒産[9]

関連著書[編集]

  • 悪党の手口 – 小説・日本熱学倒産事件 牛田正郎著

スポーツ活動[編集]

1963年に創部し、都市対抗野球大会にも出場し1973年日本産業対抗野球大会では初出場初優勝を達成。在籍選手からは複数のプロ野球選手も輩出したが、日本産業対抗野球大会初優勝からわずか半年で倒産により解散となった。

 

●かつて私の実家がある、静岡県駿東郡小山町にその工場があり、町民のかなりの人が、働きに行ってました。会社が倒産してからも、エアコンの出張修理で、日本中、走り廻っていた記憶がありますね。!

当時(50年、ぐらい前)は、私はエアコンの修理をしていて、まだエアコンが、今の価格よりかなり高額で、冷房専用のエアコンでも20万円以上していたと思います、使えれば中古のエアコンでも5万円前後で飛ぶように売れましたから、!

今では考えられませんけど、新品のエアコンを取り付けていると家族全員、親戚、近所の人までが集まって取り付けているのを見ていて、取り付けが終了してから、スイッチを入れて冷風が出た瞬間に歓声と拍手が上がり、スイカが出て来てとても感謝され、商品代と他にご祝儀袋まで頂きました。いい時代でしたね。どこの家でも同じ状態でした。(笑)